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写真には二つの根源的な要素があるという。
1 ストゥディウム(一般的関心)
2 プンクトゥム(突き刺すもの)である。1は一般的関心や文化コードであり、大半の写真はこれだけで構成されていると言える。撮影者の芸術的意図や政治的意図も含まれる。言葉で言い当てられるものである。ありふれている。一方で2を持つ写真は稀である。
「ごく普通には単一のものである写真の空間のなかで、ときおり(といっても、残念ながら、めったにないが)、ある≪細部≫が、私を引きつける。その細部が存在するだけで、私の読み取りは一変し、現に眺めている写真が、新しい写真となって、私の目にはより高い価値をおびて見えるような気がする。そうした≪細部≫がプンクトゥム(私を突き刺すもの)なのである。」
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人を感動させる写真というのは、撮影者の意図的な表現を超えたところに存在するということなのだ。社会や芸術に飼い慣らされた写真はつまらないとバルトは批判しているのである。必要なのは狂気でありエクスタシーだ。「写真」と「俳句」は共に激しい不動の状態だと言っている。
「狂気をとるか分別か?「写真」はそのいずれをも選ぶことができる。「写真」のレアリスムが、美的ないし経験的な習慣(たとえば、美容院や歯医者のところで雑誌のページをめくること)によって弱められ、総体的なレアリスムにとどまるとき、「写真」は分別のあるものとなる。そのレアリスムが、絶対的な、もしこう言ってよければ、始源的なレアリスムとなって、愛と恐れに満ちた意識に「時間」の原義そのものを思い起こさせるなら、「写真」は狂気となる。」
明るい部屋 写真についての覚書 - 情報考学 Passion For The Future (via jacony) (via nemoi) (via jacony) (via itokonnyaku)

